2008年09月07日

岐雲園跡

近代的な高層住宅が立ち並ぶこの一角は、かつて目付・外国奉行として幕末の外交に尽し、早くから開国政策を唱えていた幕臣岩瀬忠震(ただなり)が晩年を過ごした岐雲(ぎうん)園の跡。
将軍世継ぎ問題で井伊直弼と対立し、職を免ぜられた岩瀬忠震は、所有していた魯岐雲の画巻と引き換えに姫路藩の家老高須書山からこの隠居所を手に入れたという。

岐雲園

また、幸田露伴も明治26年から1年ほどだが、ここに住んでいたことがあった。
この頃の向島は静かな田園地帯で、ここに居を構える文士も少なくなく、根岸党の宮崎三昧や饗庭篁村は少し前に向島へ移転していた。
露伴は翌年、債鬼に追われて千葉に逃れるが、明治30年には再び向島もどり、向島に住む文士の最後となるまで約三十年間をこの地で過した。

(岐雲園跡:墨田区墨田1-4-1)

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2008年06月08日

露伴児童公園

新緑が目に鮮やかな露伴児童公園。
幸田露伴の旧居「蝸牛庵」跡だ。
すぐ近くの酒屋の敷地内にあった旧宅から露伴がこの場所に居を移したのは明治30年。
関東大震災後の大正13年に小石川に引っ越すまで、その人生の最盛期といえる時期をこの土地すごした。

新蝸牛庵跡

住宅密集地の中にある小さな公園だが、新緑に包まれてベンチに安らいでいると、露伴の時代には豊かな田園地帯であったという向島の姿を、僅かに偲ぶ事ができるような気がしてきた。

(露伴児童公園:墨田区東向島1-7-11)

posted by Tsu55 at 2008年06月08日 00:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文学散歩

2008年03月16日

「花」の碑

「春のうららの隅田川……」で始まる「花」の作詞者、武島羽衣の詩碑。
隅田川右岸の言問橋から上流に100m程行った隅田公園の中、桜の木下に佇んでいる。

「花」の碑

武島羽衣(本名又次郎)は、帝国大学文科卒業後、東京女高師、東京音楽学校、日本女子大などで教鞭をとり、女子教育に専心した人だが、その教え子たちが新体詩人武島羽衣の名を後世に伝えるためにこの詩碑を建てたという。

(武島羽衣詩碑:台東区花川戸1-1 隅田公園内)

posted by Tsu55 at 2008年03月16日 20:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文学散歩

2007年07月21日

森鴎外旧居・橘井堂医院跡

北千住駅西口を出てすぐ商店街を左に曲がり、一杯飲み屋、スナック、ピンサロなどが両側にひしめく狭い通りに入る。
なんだか猥雑で怪しげな雰囲気が漂うが、ちょっと懐かしい感じもして心引かれる小路だ。ピンサロの呼び込みを軽くいなしつつ、この通りを抜けると足立都税事務所という看板が目に入る。
ここが森鴎外の父、静男が向島・小梅から移って橘井堂医院を開き、鴎外も4年ほど住んだことのある場所だ。

カメラを構えていると、何を撮っているのかと訝しげに問いかけてくる人がある。地元の人のようだけれども、ここが鴎外ゆかりの地だということを知らなかったそうで、しきりに感心していた。

橘井堂医院跡

(橘井堂医院跡:足立区千住1-30-8)

posted by Tsu55 at 2007年07月21日 10:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文学散歩

2007年07月07日

錦糸町駅・伊藤左千夫旧居跡

2003年に半蔵門線が乗り入れ、さらに賑わいを増した錦糸町駅前だが、こちらでも触れたように、この場所で伊藤左千夫が牛乳搾取業「乳牛改良社」を営んでいたそうだ。

ビルが立ち並ぶ現在の街を見ると嘘のようだが、当時(明治22年頃)は緑濃い農村地帯だったのだろう。

今、駅前のロータリーには

よき日には庭にゆさぶり雨の日は家とよもして児等が遊ぶも

の歌が刻まれた碑が立っている。

伊藤左千夫歌碑

(伊藤左千夫歌碑:墨田区江東橋3-14-5 JR錦糸町駅南口前広場)

posted by Tsu55 at 2007年07月07日 18:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文学散歩