2009年01月03日

三囲神社の三柱鳥居

三越・三井家に縁が深いと言われている、墨堤下の三囲神社。その境内の奥、木立に囲まれた中にあるのが、この珍しい三本柱の鳥居。
何か、ちょっと神秘的な雰囲気を漂わせている。

三柱鳥居

説明書きには「三角石鳥居。三井邸より移す。原形は京都・太秦 木島神社にある」とあるので、蚕の社(かいこのやしろ)として知られる木島神社(このしまじんじゃ)にある三柱鳥居を模したものらしい。
木島神社と三囲神社には共に境内に三井家の祖霊を祀る「顕名(あきな)霊社」という社がある。木島神社を信仰していた京都の越後屋が東京に進出する際に三囲神社を東京での三井家の守護神と定めて崇めたということなのだろう。

(三囲神社:墨田区向島2-5-17)

posted by Tsu55 at 2009年01月03日 23:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | お寺と神社

2008年12月14日

地蔵坂

ほとんど高低差のない平坦な土地が広がる隅田川左岸には、だから原則として坂というものはない。

地蔵坂

墨堤通りと水戸街道を結ぶ地蔵坂通りと呼ばれている道路は、確かにその墨堤通りと出会うあたりに、僅かに勾配があって、まぁ坂といえば坂に違いないのだが、実のところ、かつて徳川吉宗が命じて作らせた土手上の道であった墨堤通りに上るためにつくられた勾配なのだ。

子育て地蔵

道の両側にはシャッターと空地の目立つ地蔵坂通りの商店街。
その坂上にある子育て地蔵尊には参拝者が絶えることなく、供えられた花が目に鮮やかだ。

(子育て地蔵:墨田区東向島3-2)

posted by Tsu55 at 2008年12月14日 21:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | お寺と神社

2008年10月19日

両国回向院の水子塚

「振袖火事」の名で知られる明暦の大火亡くなられた、身元や身寄りのわからない人々の冥福を祈るために建てられたという両国の回向院。
勧進相撲にまつわる「力塚」や動物供養の馬頭観音堂、また鼠小僧次郎吉の墓など見所は多い。今回訪れたのは、その鼠小僧の墓の少し奥にある「水子塚」。
回向院のHPによれば、この塚は寛政五年(1793)、時の老中松平定信の命によって造立されたもので、水子供養の発祥ということだそうだ。

水子塚

正面には地蔵菩薩坐像が浮彫にされた古びた塔が建ち、その周りを可愛いお地蔵様が大勢、風車(かざぐるま)とともに取り囲んでいる。静かでやさしい空間だ。
撮影を終えた後、型どおり手を合わせ、顔をあげたその瞬間、色鮮やかな風車がくるくると音もなく回りだした。
いや、偶然なのだろうが、私のささやかな祈りに対して水子の霊が答えたような気がして、少しうろたえてしまった。

(回向院:墨田区両国 2-8-10)

posted by Tsu55 at 2008年10月19日 17:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | お寺と神社

2008年08月06日

多門寺・戦争の爪あと

下町には珍しい萱葺きの山門が特徴の隅田山 吉祥院 多聞寺。
平安時代の中期草創の古刹で、隅田川七福神の毘沙門天としても知られている。

多門寺山門

映画人の碑や狸塚など、見所は多いのだけれど、今日は終戦記念日が近いということで、この鉄隗の写真。戦争当時風船爆弾の製造工場だった浅草国際劇場の鉄骨だそうだが、米軍の空襲によってこのような姿に。

国際劇場の鉄骨

(多聞寺:墨田区墨田5-31-13)

posted by Tsu55 at 2008年08月06日 22:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | お寺と神社

2008年07月01日

北千住の金蔵寺

北千住駅西口から飲み屋などが密集する一帯を抜けたところに金蔵院というお寺がある。
門を入るとすぐ左に天保8年(1837年)の大飢饉の飢餓者を慰める供養塔と並んで遊女たちの霊を慰めるための供養塔があり、その台座には遊女たちの戒名がびっしりと彫られているのを見る事ができる。
ここは新吉原の浄閑寺と同じように身寄りも判らない亡くなった遊女たちを葬る投げ込み寺だ。

金蔵寺

日光街道の初宿にして最大の宿場町であった千住には江戸時代には150軒の飯盛り旅籠があり、飯盛り女(宿場女郎)を置いていた。貧しい農家から売られてきた宿場女郎たちは病気などで死亡すると、この金蔵寺や千住1丁目にある不動院に投げ込まれたということだそうだ。

(金蔵寺:足立区千住2-63)

posted by Tsu55 at 2008年07月01日 22:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | お寺と神社