近代的な高層住宅が立ち並ぶこの一角は、かつて目付・外国奉行として幕末の外交に尽し、早くから開国政策を唱えていた幕臣岩瀬忠震(ただなり)が晩年を過ごした岐雲(ぎうん)園の跡。
将軍世継ぎ問題で井伊直弼と対立し、職を免ぜられた岩瀬忠震は、所有していた魯岐雲の画巻と引き換えに姫路藩の家老高須書山からこの隠居所を手に入れたという。

また、幸田露伴も明治26年から1年ほどだが、ここに住んでいたことがあった。
この頃の向島は静かな田園地帯で、ここに居を構える文士も少なくなく、根岸党の宮崎三昧や饗庭篁村は少し前に向島へ移転していた。
露伴は翌年、債鬼に追われて千葉に逃れるが、明治30年には再び向島もどり、向島に住む文士の最後となるまで約三十年間をこの地で過した。
(岐雲園跡:墨田区墨田1-4-1)


