2008年09月27日

ベンケイガニ

近年、汐入(荒川区)あたりの川岸でベンケイガニの姿がよく見られるようになったのは、人工的に湾処を造ったりして生き物が住みやすい環境が少しずつ整ってきたからなのだろうか。

ベンケイガニ

写真は、もっと下流の両国橋付近で、水溜りに落ちていたポテトチップスを漁っていたベンケイガニ君。
コンクリートで固められた、殺風景な親水テラスの僅かな隙間を住まいにしているらしい。都会に生活する生き物の、逞しさを見た気がした。

posted by Tsu55 at 2008年09月27日 20:55 | Comment(2) | TrackBack(0) | 水辺の生き物

2008年09月21日

昔はなし柳塚

墨田区業平5-7にある妙見山法性寺。柳島の妙見様といったほうが通りがいい。
1492年開基の墨田区でもっとも古い寺院ということだそうだ。
かつてはこの周辺は江戸市中から観光をかねた参拝客が多く訪れる場所だったようで、浮世絵の「江戸名所絵図」などを見ると、うっとりするような美しさだった事がわかる。
それが現在では、周囲は住宅密集地となって、お寺の本堂はレンガ色のマンションの1・2階部分に収まっている。なんという変わり様だろう。

昔はなし柳塚

境内には葛飾北斎検証費や近松門左衛門碑をはじめとして、芸能・芸術にまつわる石碑が多く立ち並んでいるが、今回のお目当ては「昔はなし柳塚」。
明治時代、同じ墨田区の木母寺に三遊派が三遊塚を建てており、おそらく三遊派と覇を競っていた柳派がその存在を誇示するために建てたものだと思う。
他にも境内には桂文治(六世)の碑というのもあるし、また落語の「中村仲蔵」では「忠臣蔵」五段目の斧定九郎の役を割り当てられた仲蔵が、役作りを工夫するために、この寺に願掛けをしたことになっている。なにかと落語に縁のある寺のようだ。

(法性寺:墨田区業平5-7)

posted by Tsu55 at 2008年09月21日 14:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 落語

2008年09月15日

下町の洋食屋さん「カタヤマ」

明治通りと墨堤通りの交差点のすぐ近くにあるレストラン カタヤマ。

レストランカタヤマ

いかにも下町の洋食屋さんといった風情のこの店の名物は駄敏丁カットという特殊な加工をしたステーキ。
牛のモモ肉の一部である「らんいち」から筋と脂を取り除いた駄敏丁カットのビーフステーキは柔らかくてご老人にも食べやすい。
休日には1軒置いた隣にある待合所も満員になるほどの繁盛店だ。

1kgステーキ

ビーフステーキ1kg!

(カタヤマ:墨田区東向島4-2-6)

posted by Tsu55 at 2008年09月15日 13:40 | Comment(1) | TrackBack(0) | 旨いもの

2008年09月14日

勝鬨橋

1970年に最後の跳開をして以来、開閉する事のなくなった勝鬨橋。

勝鬨橋

この無骨なスタイル。ふと、「富国強兵」という言葉が頭に浮かんだ。

勝鬨橋2

その名前は日露戦争の旅順陥落祝勝記念として設置された「勝鬨の渡し」に由来するという。(勝鬨橋:左岸は中央区築地6丁目、右岸は中央区勝どき1丁目)

posted by Tsu55 at 2008年09月14日 12:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 隅田川橋尽くし

2008年09月07日

岐雲園跡

近代的な高層住宅が立ち並ぶこの一角は、かつて目付・外国奉行として幕末の外交に尽し、早くから開国政策を唱えていた幕臣岩瀬忠震(ただなり)が晩年を過ごした岐雲(ぎうん)園の跡。
将軍世継ぎ問題で井伊直弼と対立し、職を免ぜられた岩瀬忠震は、所有していた魯岐雲の画巻と引き換えに姫路藩の家老高須書山からこの隠居所を手に入れたという。

岐雲園

また、幸田露伴も明治26年から1年ほどだが、ここに住んでいたことがあった。
この頃の向島は静かな田園地帯で、ここに居を構える文士も少なくなく、根岸党の宮崎三昧や饗庭篁村は少し前に向島へ移転していた。
露伴は翌年、債鬼に追われて千葉に逃れるが、明治30年には再び向島もどり、向島に住む文士の最後となるまで約三十年間をこの地で過した。

(岐雲園跡:墨田区墨田1-4-1)

posted by Tsu55 at 2008年09月07日 22:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文学散歩