待乳山聖天は隅田川と山谷掘りが交わるあたりの小高い丘の上にある古刹。
浅草寺の子院だが、浅草の中心から外れているせいか、観光客でごった返す浅草寺より、「江戸」を感じさせてくれる好スポットだ。
その待乳山聖天わきの台東区立待乳山公園に「池波正太郎生誕の地」という碑が建っている。
池波正太郎は、大正12年、旧東京市浅草区聖天町61番地(現在の東京都台東区浅草7丁目3番付近、「待乳山聖天」の少し南側にあたる)で誕生したそうだ。

自分の生地について池波正太郎は次のように書いている。
私は、大正十二年一月二十五日の朝、浅草の聖天町に生まれた。
(中略)
間もなく関東大震災が起こり、私は父母と共に、埼玉県浦和市に逃れ、そこに六年間を暮らしたから、聖天町の生家の記憶はないし、いまは町の姿もすっかり変わって、祖母や母から聞かされた、あたりの風物を偲ぶこともできない。(『江戸切絵図散歩』)
この聖天町に、正太郎は生後間もなくの数ヶ月しか住んでいない。けれども、このあたりは正太郎の時代小説の舞台であり、何よりも池波正太郎というキャラクターと、この待乳山聖天の雰囲気がピッタリとマッチしていて、この場所こそ池波正太郎の生地というか「聖地」にふさわしいではないかという気する。
(池波正太郎の生誕地碑:台東区浅草7-4-9台東区立待乳山聖天公園内)










